東日本大震災調査感想

 

· 失敗か?成功か?

今回の震災で、太平洋沿岸部に壊滅的な被害が大変衝撃なイメージが残りました。なぜ今まで土木エンジニアが精一杯作った社会施設は、人命や財産を守れませんでしたか。田老町が60年以上をかけで整備した「日本一の防潮堤」「万里の長城」も無念に失敗しまいました。

しかし、津波による被害が多かった一方、世界最大級のマグニチュード9.0、最大震度7という規模にもかかわらず、揺れによる建物被害が少ないでしょう。もちろん、木造住宅や中低層の建築物に大きな被害を与える周期1~2秒の地震波があまり強くなかったことが一つ要因であるかもしれませんが、兵庫県南部地震後土木エンジニアが提案した耐震設計の修正や耐震措置の改良など、様々な対策の成功も否定出来ないでしょう。

土木は、人類文明の共に、自然災害から勉強すべきな科学です。失敗からフィードバックは土木工学当然の本質です。今回防災失敗の原因究明、将来の失敗防止等、これからの防災の成功と繋がっていることと思います。

· 想定外?

近頃、「想定外」という言葉はよく耳にします。予想を超えて、最悪の事態を避けられない事です。しかし、工学は理学の分野と異なる、あくまでも実用の学です。私たちの生活する日常空間で、技術的にも経済的にも成立するモノを作り上げ使用していく、というための学問です。事象を想定するが、影響が評価できず、対策も取らないこと、あるいは事象を想定せず、対策も取らないこと、これは工学では許されないです。

 この言葉は政治家や企業などがよく使っていますが、あくまで責任逃れのために便利な口実だと思います。巨大地震や大津波は当然想定されるべきでしょう。なぜならば、一人の人間の生涯で、これらを経験するのは一度だけとは限らないほど頻度が高いからです。今回の東日本大震災は1000年に一度しか起きないようなきわめて稀な地震と津波、という見方に私は反対します。明治にあった「三陸沖地震津波」は、記録による最大波高は、38.4mにもなります。他の地域でも、概ね10mを遥かに越えていました。この地震津波は、国際的にも地震研究者の間では、常識中の常識と言われる有名な出来事だそうです。これと同規模の津波が再来する事を想定した対策を打っておくべきでした。なぜ想定外になりましたか。

 我々が調査した東北地方は、「津波浸水想定区域 ここまで」の看板、たまたま見ましたが、今回の津波はこの想定位置より高い場所に到達するケースは、陸前高田だけ一が処です。工学は、いつでも想定の能力が欠乏ないです。影響が十分に評価できないものの、最大限の安全係数をもって対策すべきでしょう。エンジニアは一味的に責任逃れではなく、謙虚に教訓を得ていく姿勢が必要となるでしょう。工学は、安全性だけでなく経済性も考えなければなりませんから、いかに狭い範囲に限定して 想定 を行うことではなく、より広い範囲で想定内ただ予算外、想定内ただ対策手間外などの理念、エンジニアが有るべきであると思います。

· ハード vs ソフト

津波は低い頻度で発生、推定が困難なほどの巨大な破壊力を及ぼすものですので、堤防、水門などの構造物のみでこれに対抗することが難しいです。したがって、従来から、ある高さまでの津波に対しては、主に構造物で防護し、これを超える高さの津波に対しては、構造物によるハード対策ではなく、高台移住・拠点ビルの配置などのまちづくりや予警報と避難などのソフト対策を組み合わせて守る総合的な防災システムの整備が必要です。

三陸エリアは津波を90回もうけてきたと言われました。自分の集落の人たちがたくさん死ぬ、それでも立ち直る、ということをずっと繰り返してきた。先祖たちからいただいた大事な故郷を、いつまでも守りたい気持ちはよく理解していますが、必ずその場で現状復旧するわけではないでしょう。祖先から引き継いだものを少しでもより良いものにして子孫に引き継ぐべきことはもっと良いです。今回の調査で、被災地と高台の高度差ただ数メートルの区別ですが、地獄と天国の距離です。今まで被災地の住民は半分以上元の集落に再建したいと報告します。長年故郷として住み慣れた場所を離れたくないのは良く分かります。しかしこの強大な自然の力を前に、堤防だの水門だのが余りにも無力なことがはっきりしたのではないのでしょうか。

正直高台に住まいを移す以外、思いつきません。たとえ不便でも漁港から離れた高台を開拓すべきだと思います。故郷を捨てるのは、生き残った人には辛いでしょうが、これから生まれてくる子供達には安全な「故郷」となるのですから。これはソフト対策の一環だと思います。

今回は見ていませんでしたが、三陸地方では、「高き住居は児孫に和楽、想え惨禍の大津波、此処より下に家を建てるな」のような石碑は約200基があります。なぜ失敗は伝わらないですか。地形は昔も今も変わらないので、湾になってて津波が高くなるような場所は、過去にも部落が消滅するような悲劇を繰り返しているはずです。しかし、時間が経ち世代も変わると恐怖心も薄れまた同じことを繰り返します。

歴史が繰り返すことを止めることは出来ないんです。災害の記憶の伝承は防災の基本だと思います。

· 土木エンジニアの責任

以上はソフト対策ばかりと書いていますが、土木エンジニアもたくさんやるべき物があります。

津波予測の精度向上。東日本大震災ではすぐに津波の発生を予測できたが、予測を上回る大きさだった。修正した予測がすでに電気や通信が中止した地方の住民に伝わらなかった可能性が高いです。また、第二波、第三波などは第一波より断然に大きいケースが多数存在しますので、地震後より確実な津波予測が必要だと思います。今までよく発達した地震速報システムもう大変役に立ちますので、津波予測はより難しい見込みですが、期待しています。

総合的な防災対策。土木のモノづくりは、冗長度が高いものを追求しています。同時に、より総合的な考えが必要と思います。今回の仙台東部道路が事実上の防波堤になりました。堤防のような役割を果たしたとみられ道路西側の被害を和らげました。南三陸町の津波避難ビルは、全ての住民は奇跡のように全員生きています。土木エンジニアはあるものを作るとき、もっと全般的に考慮することは、将来的に役に立つことになるかもしれません。

復旧の大小問題。今回は、東北新幹線の運転再開にとって最も大きな問題は電柱の損傷によるものです。今までの震災で、構造物が地震によってダメージを受け、そちらの復旧に時間がかかっていましたが、今回は構造物の復旧があまりにも早く済んでしまったために、電柱の復旧が全体工程を左右するような状況になっていると言えるかもしれません。大きな構造物の安全性問題を解決しても、小さい問題の着目点も重視が必要でしょう。

もっと工夫へ。今回の調査は、すでに提出したさまさまな工学対策は例外なくよく効いている印象が残ります。耐震補強済みの鉄道高架橋は全然被害が認めません。巨大な破壊力をもつ自然災害の前、土木エンジニアはもっと工夫をかけて、自分の知恵や能力を発揮する余地が十分あるんでしょう。

This entry was posted in 日本诸事考. Bookmark the permalink.

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *